このところの学校ホームページの増加には目を見張るものがある。わずか半年の間に倍以上の学校がキッズページの「学校サイト検索」リストに登録されるに至ったのである。しかし、公開されているホームページを巡ってみると非常に質的なばらつきが大きいことに気づく。まめにメインテナンスされ、学校の雰囲気がよく伝わるページもあれば、トップページに学校の全景写真が貼られているだけ、という寂しいページもある。「話題になっているから、学校ホームページをたち上げてみたいのだが、どこから手を付けて良いか分からない」。そういった質問に答えるべく、このセクションでは、学校ホームページをいかに立ち上げ、運用してゆくか、という課題をトータルに考えてみたい。
巷の本屋にはHTML解説本がたくさん並び、ホームページ作りはちょっとしたブームになっている。どの本をみても「誰でも簡単にホームページができる」ということがうたわれている。たしかに、ウェブページを用いれば、誰でも人に頼らず、安いコストで情報発信が可能になった、というのは事実だろう。だが、その結果、実際に誰でもページを持って積極的に情報発信するようになったか、というと、そんなことはない。それは「個人がメディアを手中に入れた」という幻想に過ぎないからだ。
よく誤解されやすいので、はっきりと最初に述べておきたいのだが、技能的にホームページが書けることは、必ずしもウェブを運営できることを意味しない。実際にホームページを作り始めると痛いほど分かるが、コストが安くなったのは純粋に発信手段の部分だけで、中身を作り込む労力は新聞や雑誌を編集するのとなんら変わっていないのだ。取材や文章書き、写真撮りに編集、HTMLタグ付け、これらの作業を一人でこなすのはおのずと限度がある。ちょっとした規模のホームページを運営しようとすれば、もうチームを組まなければ無理かもしれない。
状況は、かつてデスクトップパブリッシング(DTP)が流行りはじめた頃と似ている。「もう写植屋に頼らなくても自分で本が作れる」、これが当時の売り文句だった。ところが、DTPでは編集側は裁量権や自由度を大きく広げる一方で、印刷直前の版下づくりまで責任を持たなくてはならない。モノを作る以上省けない過程は頑として存在するのである。機械化による省力化は結構なのだが、ホームページ作りにしてもDTPにしても、作業自体が消えたのではなく、従来は分業分担して行っていたものが一部分に集中し、そのぶん勝手が効くようになり、結果として負担が増えたということだ。
新聞や雑誌を作るのに、いきなり版下原稿を作り始める人はいないのと同じように、ホームページにもまずコンセプトワークが必要だ。学校のページを形作ってゆくうえで、欠かせない条件を揃えるところからはじめたい。
最近、学校ホームページのリストを整理していて面白いことに気づく。いわゆる学校が「公式」にやっているサーバは案外少ないのだ。筆者のウェブサイト「キッズページ」では、学校に関係する人同士が何らかのコネクションがとれる事を重要視しているので、学校リストに掲載するにあたって、公式・非公式・未公認の差は問わない方針を取っているのだが、先生が個人的に作っているページがあったり、学校ではなくて学級やクラブというくくりでやってみたり、卒業生やPTAが勝手に作ってしまったという未公認ページがあったり、というぐあいに、その生い立ちが実に様々なのである。しかも、困ったこと(?)に、公式のページよりもそうでないページの方が、学校の雰囲気がよく伝わってきたり、いかに必要感に迫られて作ったかがページににじみ出ていたりする。これはいったいどういうことなのだろう?
学校側にしてみれば、学校長が許可していないページに勝手に学校名を使うのはけしからん、ということになるのだが、「じゃあ、くやしかったら自前でページを作ってみろ」と言われても、なかなか身動きが取れないのは明らかだろう(これまで、制作者以外から「掲載やめろ」のメールをもらうことはあっても、「こっちに公式を立てたからリンクを直してくれ」という話は聞いたことがない)。また、そのページを作った人間は学校とまったく無関係か、というとそんなことはないのだ。同窓会ページを作った卒業生だって、PTAページを作った保護者だって、端から見れば立派な学校関係者なのである。
インターネットの世界では、アイデア勝負でやりたい人間が先にやったもの勝ち、というところがあって、大規模な組織がなかなか意思決定できないうちに、個人や小グループがさっさとゲリラ的にいろいろなものをぶち上げてしまう、というケースは少なくない。しかも、こういう生い立ちをもったものの方がたいがい面白いのだ。なぜなら張本人達は、なんらかの切実なニーズをかなえるべくアクションを起こしているからである。筆者自身はこういった出来事について、学校のタテマエを振りかざしてこれら小さな試みをつぶすよりも、もっと冷静にひとつひとつの活動の必然性を問うべきである、と考える。学校は、えてして学校の枠の中だけを考えがちだが、卒業生のコミュニティも、保護者の集まりもまた、必要欠くべからざるものなのだ。学びの共同体、という言葉はあちこちで聞かれるが、学校のホームページとは、まさにそのための共有スペースをネットワーク上に確保するものである、と考えたい。学校に関係しそうな、ありとあらゆる人々がネットワークを通じて集い、様々なアクションを起こしてゆくための基盤としてゆくのだ。