ボランティアはやりがい搾取だよ

もとは4/11のNHKニュース

先進国で最悪の水準の日本の財政を立て直すため、財務省は、医療費や介護費の膨張を抑える制度の見直し案をまとめました。軽いかぜなどで診察を受ける場合は、患者の自己負担を上乗せするよう提案しています。

見直し案は、11日開かれた財務省の審議会で示されました。

このうち医療の分野では、患者が病院などの窓口で支払う自己負担について、軽いかぜなど少額の外来受診の場合は、負担を上乗せするよう提案しました。

また医療機関に支払われる「診療報酬」は、今は全国一律の水準になっていますが、地域によって医療費の伸びにばらつきがあり、住民が支払う保険料の負担にも格差が出ていることから、自治体の判断で引き下げることができるようにするべきだと提案しました。

介護の分野では、掃除や調理などの身の回りの世話をする生活援助のサービスについて、ホームヘルパーの代わりに地域の住民やボランティアを活用できるようにして費用を抑えることを提案しています。

審議会は、これらの案を基に提言をまとめ、ことし6月までにまとまる国の新しい財政健全化の計画に反映させたいとしています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180411/k10011399291000.html

ボランティアねえ…

サービスに対価を支払うのは非常に明快な価値交換システムですが、最近の行政は予算がないからボランティアで、と言うようになりました。たしかに教育も福祉もコストセンタな領域ではあるのですが、公共セクタがおおっぴらに対価を支払わず【やりがい搾取】し放題をすれば、サービスレベルは低下し、担い手はいずれ消滅してしまうんですけどね。

【日本型ボランティア=タダ働き】が徳政令のように乱発されると、行政は足りない予算の代わりに付与・機能していたはずの価値交換にも無頓着になった気がします。いわゆる、信用とかつながりといった社会関係資本ですね。

こうした社会関係資本は一方で癒着や不正の温床にもなるので、行政は担当者の定期的異動や任期制限をもって合理的に切断するわけですが、後任が背景や価値を引き継がず無自覚無責任に事業放棄することがままあるので、元から関わっている者は経済的損失以上のダメージを喰らいます。元々やりがいは持ち出しですからね。

私は行政学には詳しくないので素人考えの域を出ていませんけど、事業規模金額に応じて責任の問われ方が変わる現状からすれば、無償ボランティアで膨れ上がった事業で、行政側での相応の責任担保がなされないのは相当に問題です。オリンピックに限らず、プログラミング教育ボラなんかもそうです。

もし、予算はボラで圧縮するけど責任は放棄しないんだ、という高邁な精神があるのなら、ボランティアの要請と一緒にお金の代わりに機能する価値交換(と責任担保)システムを公共セクタ側で保証するのが筋だと思いますね。教育や福祉に関わる人の大多数は篤志家でも裕福でもないんです。

いや「教育で稼げないなら専門変えれば?」とか、言われますのでね。単なるぼやきです。

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