教育ICT常識の嘘 #2「IT活用指導力」

教育情報化政策におけるIT活用指導力の養成は世界共通の課題だ。ICTで教えるにはスキルを要する、というシンプルな考えに基づいている。文科省の実態調査を見ると指導力は年を追う毎に向上しているように見える。

平成26年度 学校における教育の情報化の 実態等に関する調査結果(概要)平成27年10月 文部科学省(平成27年3月現在)

平成26年度 学校における教育の情報化の 実態等に関する調査結果(概要)平成27年10月
文部科学省(平成27年3月現在)

 

文科省定義でIT活用指導力はA~Eの5分類。年次推移グラフで注目すべきはH23以降B(授業中にICTを活用して指導する能力)とC(児童のICT活用を指導する能力)が入れ替わっている点だ。つまり、ICTは学習者が使う道具から提示説明の手段への傾斜が急速に進んだ事を示している。

B分類の数値が向上したのは、PC室整備より遅れて一般教室への提示型機材(電子黒板・OHC)配備が進んだ事と関係がある。一斉授業と提示型機材の組み合わせは比較的自然で、しかも、教員側で全部コントロール出来るから、機材配備が進めば板書の代わりとして使われるだろう。

ただ、これだけICTが日常生活に浸透しているのに、未だにIT活用指導力の向上が課題であり続けているのは謎だ。数値が改善しているとはいえ、スピードが緩やか過ぎる。それは、教員にとって生活で用いるICTと授業場面で用いるICTが異なったモノとして認識されているからだと推測できる。

そもそも、IT活用指導力はそんなに難しい事を要求するのか?教育現場での指導について聞くと、思い当たるフシがある。例えば「ICTは教育効果が確実に得られる場面でピンポイントに使え」とかいう。それはかなり難易度が高い。指導力を理屈に余計なものまで背負い込み過ぎているのではないか。

 

例えるなら、一斉授業はショーで、活用されるICTは劇場の大道具のようなものだ。大仕掛けで観客にインパクトを与える代わり、完璧に動作しなければその場を盛り下げてしまう。教員は教室舞台を完璧に操るために、監督兼主演兼裏方をこなさねばならない。そのための負担は相当なものだ。

教員研修で教えるような人ならいざ知らず、一般的な教員が抱く素朴な疑問とは、そこまでしてICT活用に時間を費やして、効果は十分得られるのか、ということだ。最終的に測られる教育効果が知識理解度なら、普段通りの板書と語りだけで十分ではないかという批判も真っ当に聞こえるだろう。

B分類の項目に関していえば、配備機材を提示用に日常利用するレベルなら問題ないが、演劇の大仕掛けのようにして教員側の負担を増やせば、それに呼応して高まる期待効果に応えられなくなる。つまり、ショーのような一斉授業をモデル化してIT活用指導力を解けばかえって普及を阻害する

 

さて、ICTに限った話ではないが、B分類項目の課題をもう一つ指摘しよう。教示主義の一斉授業は教える者と学ぶ者を完璧に役割として分けるので、行為自体も別々のものにしてしまう。面倒臭い表現になるが、教員から「知識」は学習出来ても、「学ぶ行為」は学習できない

教員側行為は問答と知識提示だから、行為を真似ることで学習者が電子黒板を利用したプレゼン能力を身に付けるかもしれない。しかし、先にICT活用を劇場の大道具に例えたように、教員は舞台裏の動きをあえて見せないから、凝った授業展開をしても学習者側に資料(教材)を構成する能力は身に付かない。

 

とすれば、IT活用指導力として注目すべきは、やはりC分類にある児童生徒サイドの活用ではないか。C分類の項目は、教員側が一方的に児童生徒に◯◯させる、というのとは少し違う。学びの主体は学習者側にあるのだから、教員も学習者と同じ立ち位置で「学ぶ行為」を共有する事が出来る。

大人でも子どもでも、課題の絞り込み、探求、整理、要約といった「探求・学びの行為」は基本的に共通だから、もし、教員側の学ぶ行為が学習者側からも間近に把握出来れば、その行為セットはスキルとして学習者側にも伝搬しうるということだ。

つまり、現状のようにIT活用指導力を「ICTで教える力」や「ICTで学ばせる力」として分断して高度化する方略ではなく、むしろ、もっと身近に引付けて「ICTで学ぶ力」と再定義すれば、教員にとって生活場面と授業場面のICT活用の段差はより小さなものになるだろう。

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