最後に授業で使うくらいがいい

1:1(1人1台の学習情報環境整備)に関して企業の方に相談すると、授業用の貸し出し機材確保まではわりとスムーズに交渉展開するのだが、その先の踏み込んだ検討を提案することが難しい。日本の教育情報化が、ずっとピンポイントの授業ICT利活用に偏ってきた事を改めて認識する。

臨時の貸し出し機材を充てて授業ICT利活用をし、教育効果を実証して導入検討へとつなぐやり方はこの業界の常識。しかし、この方法が同時に教育情報化20年停滞の原因でもある。短期的試験導入は、情報化の認識自体を歪めやすい。授業でいかにICTを使うかのみが問われ、あとの要素は切り捨てられてしまう。しかし、切り捨てた要素を丁寧に拾わないと20年の停滞は解消しない

デンマーク・コペンハーゲン郊外の学校にて

2014 デンマーク・コペンハーゲン郊外の学校にて BYODとして授業中にiPhoneを使う

教育情報化の検討は、家を建てる時の相談と似ている。たいがい、施主は壁紙・床材や台所・風呂の仕様にはこだわるが、建物の構造や配電・配管は設計者任せになる。施主の我儘通りにして住めない家を建てても責められるだけだから、設計者は先を見越しつつ、施主のリクエストを上手く翻訳して仕様に織り込むわけだ。

日本の教育情報化で、施主(授業者)が考えるのはパーティやお披露目のことばかりで、だれも本気で住むことを考えない。賢い設計者が不在の状態だ。学校現場には、単発・具体的な授業活用アイデアはあっても(ない時の方が多いが)、授業の枠外を想像する力には乏しく、力を補う者もいない。

単発・具体的な授業活用アイデアはイベントの仮設テントと同じ発想だ。見かけは良いが活動は長続きしない。授業のICTスポット利用では学習者間の著しいスキル格差を解消しないし、高度な利活用が阻害されるので、得られる効果も限定的になる。当然、周囲への説得は難しくなる。失われた20年間はずっとこの繰り返しだった。

 

教育情報化の究極の目的は、子どもの学びと生活に関わる情報のエコシステム全般を現代化することにある。エコシステムの一部には授業も含まれるが、学校側の言い分だけを御用聞きして授業だけをターゲットに最適化しても歪になってしまう。部分最適はけっして全体の最適化にならない

学校現場が考える授業でのICT利活用シーンは、終始使い倒しても1日のわずか1/5程度に過ぎない。教具的なピンポイント利用なら適用時間はもっと短くなる。その程度のカバレッジで1人1台の仕様を発想する方が不健全だ。残りの4/5の時間を捨象したデザインは砂上の楼閣と同じである。

 

授業に限らず生活全般で使う1人1台の情報環境を前提にするなら、子どもの側の生活感覚や都合を置き去りには出来ない。授業を家庭に持ち帰らせる発想ではなく、むしろ、子どもの普段の生活を学校に持ち込むのである。授業に特化した情報デザインの押し付けでは、結局、子どもの思考や経験を分断してしまう。

学習者視点を活かした情報環境とは、家庭の常識が学校でも通用する事を意味する。手書きや紙文書の代わりにウェブやSNSが使える。意のままに情報を引き出したり、預けたり出来る。学習者自身のコミュニケーション手段・創造ツールとして馴染んだ先に、本物のICT利活用授業の姿が見えてくる。

学習者中心の1人1台環境は、コンテンツというよりツールだから、しばしば学校側が指摘するほど高価でも困難でもないし、カスタマイズも不要だ。ツールはシンプルかつ汎用のもので良い。ただし、個人でも学校でも横断的に使える仕様でないと、データを自在に持ち込んだり持ち帰ったり出来ない。

日常利用すれば学習者間スキル格差はいずれ解消する。学習者のICTスキルが底上げされれば、教員側負担も軽くなる。徐々に高度な課題にもトライできるだろう。つまり、学校教育のICT導入検討は、これまでの典型「最初が授業、後は??」ではなく、「最初は日常生活、最後に授業で使う」くらいが丁度良い。

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