子どもがメディアを選ぶ

1:1やデジタル教科書議論でよく議論されるテーマには、「今までの紙媒体は全部ICTに置き換わるのか」というものがあります。結論から言うと、教員側が一方的に決めてよいことではありませんし、アナログかデジタルいずれのメディアを使うか、という課題はしばらく教員・学習者双方につきまとい、悩みの種になるでしょう。

2014 ストックホルム市内の学校にてiPadを使った文章づくり

2014 ストックホルム市内の学校にて  iPadを使った単語さがし

この問題をメディアの特徴と相互の接面の2点で考えてみましょう。紙媒体は扱える情報が限定的である反面、情報密度を疎にして学習者の集中や熟考を引き出す事が出来ます。一方、ICTは単位時間中に扱う情報量が膨大になるので、雑多な情報を取捨選択したり、要点を掴んだりといった作業を要求します。

紙媒体をICTのように扱うのは無理ですが、ICTを紙媒体のように扱うとコンテンツはきわめてつまらないものに見えます(そう。単にPDF化した教科書を画面で見るとがっかりしますよね)。だから、デジタル教科書のリッチ化は、ICTの特性に合わせた自然なコンテンツ追加の流れと言えます。

 

これまでの教材の大半は教員側が把握・所持しており、子どもの側にあるメディアや文具も限られていたので、選択・運用はもっぱら教員の判断に委ねられてきた訳ですが、学習者用デジタル教科書デバイスは子どもが所持するので、踏み込んで使い方を指示するか否かはよくよく考えた方がいいでしょう。

一斉授業が前提だと、教員は全員に同じ事をやらせようとしますが、学習の型や知覚特性は各自違うので、メディア選択場面を作れば判断は分かれます。重要なのは、選ぶ余地を残す事と、学習者自身が選ぶという事です。選択肢があれば、自分の得意不得意や好き嫌いについて冷静に考える余地が生まれます。

 

話を変えます。日本や韓国のICT利活用授業を見ていると、しばしば子どもの机の上を占領している紙の多さにびっくりします。その正体は教科書・ノートに加えて、紙のワークシート。授業中の課題はワークシートに印刷されているので、学習活動中はもっぱら用意された解答欄へ書き込みを行うわけです。

紙のワークシートは活動中の子どもの行為を煩雑にします。紙メディア+ICTから得られた情報を紙に書き写す行為を要求するからです。しかし、子どもの様子を見ていると、情報を書き写す作業そのものが学習であると思い込んでいるようなシーンに出会うことが少なくありません。

これは媒体の接面(インタフェース)に生じる情報特性・密度のギャップです。ICTの膨大な情報をそのまま紙に書き写せば、紙の辞書以上のギャップが生じます。しかも本来ICTで要求されるはずの取捨選択や要点把握は紙上で十分に行われません。学習としては、中途半端な結果しか残せないでしょう。

 

困った事には、課題を出す教員も課題に取り組む子どもも、たいがいはメディア選択やギャップについて無自覚です。例えば、ワークシートデータだけ渡しておいて、必要なら印刷して良い事を伝えたらどうでしょうか?そこではじめて自分とメディアを冷静に向き合わせ、自ら選び取る機会が出来る訳です。

作業特性を自分で考えたうえで、全部をデジタルでやり通す選択肢があってしかるべきでしょう。紙の本をじっくり読みたい、ノートは手書きで取っておきたい、あるいは、紙資料も全部スキャンしてクラウドにデータをアップしておきたい、どちらも自在に出来るようにしておくのが、学習者中心の考え方です。

もちろん、どちらか一方だけで後は絶対に使わないか、といえば、そんなことはありません。大人の我々だって日頃から気分でノートパソコンでメモを取ってみたり、鉛筆でラクガキしてみたり、試行錯誤を繰り返しているわけですからね。

 

つまり、原則としてメディアの選択権は学習者の側に置くべきですし、教科・単元やその日の気分で変わるかもしれません。結果として選び取った方略が、その後どのように活きたのか、失敗したのか、メタのレベルで判断評価するのも重要な学びのひとつといえるのです。

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