こんなチーム学校で大丈夫?

これは学校経営の話で必ずしも広報ではないのだが…

昨日の某研究会は「チーム学校」の話題。学校に外から関わる立場からすると、ものすごくモヤモヤしたのでちょっと書いておくと、学校が超然としていられたのはもう昔の話で、人手も足りなければ、地域協力もしなければならない、という状況であることは明らか。しかし、学校現場の認識は相変わらずバラバラなのだなと感じた。

「チーム学校」で比較的話題に上りやすいのは、校務多忙の解消。とかく多忙といわれる学校だけど、関係者の発言を聞くとマネジメント視点やコスト意識の不足を感じるし、保護者・地域とのつきあい方の肌感覚共有が出来ていないと感じる事が多い。そんなところに、地域運営学校とかチーム学校の話を持ってきておいて本当に大丈夫か、と心配してしまう。

毎日嵐の中で翻弄されているところに、また文科省が余計な事を卸してきて迷惑だ、くらいの物言いが出てくると、ああやっぱりと落胆する。だいたい、「学校だから地域ボランティアが使える」とか考える事自体が大甘過ぎるし、関係者に対しては大変失礼にあたる。

PTAも地域の人も何故関わってくれるのか、学校関係者は考えてみて欲しい。それは学校の社会的な価値向上が必要だという暗黙の合意があるからで、別に好きで学校に関わり続けている訳ではない。少なくとも「チーム学校」を捉えるなら、アーンスタインの「参加の梯子」くらいは知っておかなければ。つまり、学校への参加を要請するということは、意思決定にも関わりをもつということなのだ。学校も地域社会の一部で地域価値に貢献しているのだ、という意識が共有出来ていなければ、相互の関係は余計にギクシャクしてしまう。

火事場に人手が必要だから、とか、所詮タダ働きだから、とか、学校側にそういう奢りがあると「チーム学校」は長続きしない。校務の多忙を解消するなら、単に下働きを任せるのではなくて、必要なら意思決定やBPRも含めた取組みさえ一緒にやる覚悟がないとダメだろう。

ボラを引き受ける立場からすると、貢献した分が良くなってくれないと悲しいわけで、同じところをグルグル回っているだけならそのうち愛想を尽かす。少なくとも学校側はタダ働きした稼働合計(シャドウコスト)分のなにがしかを地域に還元するか、学校自身の成果として見せるのが筋というものではないだろうか。

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