生徒会のICT活用は授業よりハイレベル
教員の意図しない活用
学習者中心のICT活用のひとつの特徴は、教員が意図しない場面で児童生徒が勝手にICT活用するということ。
たとえば、生徒全員が汎用のクラウドサービス(G Suite for Educationみたいなもの)が使える学校では、生徒会での議事まとめや体育祭のスコアリングにドキュメント共有を使って省力化する。
議事まとめの場合は、書記がリアルタイムで議事をまとめたものを出席者全員で共有して、その場でコメントを入れていく。
体育祭のスコアリングは、以前なら試合会場で書き込んだ用紙をわざわざ本部に届けて転記しなければならなかったところを、1スプレッドシートを共有しておいて、その場でスマホやタブレットでスコアを書き込むので、行き来の手間とタイムラグがない。ドキュメント共有というテクは地味だが、省力化効果は抜群だ。
意見聴取や投票にウェブフォームを使えば、アンケート用紙を印刷・配布・回収・転記のコストと手間がなくなる。フォームをオープンして受け付ければ、集計と考察だけすれば良い。ハイスキルの生徒達はこうした面倒臭い一連の手続きを簡単に済ませてしまう。おそらく教員が全く予想しなかったレベルで。
ID・クラウド・機材は学習者のライフライン
これを生徒会公式で実現するには、少なくとも、第一に児童生徒・教職員全員のログインアカウント、第二に自在に利用共有可能なクラウドサービス、第三に十分な機材か持ち込み機材利用(BYOD)、の3条件が必要。
これらはもっぱら授業運用のみの授業支援システムやファイル共有レベルでは揃わない。教員側から考えれば、IDもクラウドサービスも、授業以外の面倒を増やすだけの余計なものでしかないからだ。
だが、学習者目線で捉えれば、このID・クラウド・機材の3つは、自分の学びのデジタル環境を持ち歩くための必須条件である。家庭でのプライベートな学びと学校生活とを地続きにするためのインフラだ。言い換えれば、児童生徒個人のアイデアを、学校や授業に持ち込み・持ち帰るためのライフラインである。
デバイドの対岸に居るのはどちらか
日本の教育情報化政策はコンテンツと教具偏重だから、そもそも生徒会のICT活用など眼中にないし、大半の関係者は「そんなことは勉強と関係がない」と鼻で笑うだろう。学校で行われる公開授業研は、教えるべき内容と、教具や授業技法としてICTを巧みにねじ伏せる事のみがもっぱら重要視されていて、学習者側の知的生産のレベル・扱う情報量・データポータビリティ(データを持ち込んだり・持ち帰ったりすること)には大概無頓着だ。つまり、授業でつつがなく教えることにしか興味がなくて、個々人の学びがどうなろうと知ったことではない、というのが現状多数派の考え方である。
公開授業研では、たかだか数分の「話し合い」でタブレットに書かせた手書きを電子黒板に集約して教育効果を云々するが、そもそも、活動が知識の理解習得中心で最初からゴールは決まっていて、応用や問題解決がオマケ程度なら、知的活動のレベルは知れているし、ICT活用の教育効果なんかあってないようなものだ。その程度の低レベルな議論に我々教育関係者は何十年も拘泥されている。
冷めた目で見れば、教具として仕組まれた予定調和的な公開授業研より、前述した生徒会事例の方が何倍も面白い。生徒会はまさに問題解決をライブで扱うわけだから、ICT利用スキルも知的活動レベルも扱い情報量も何段階も上を行っている。そこにはやはり、授業と生活との間の深刻なデジタルデバイドを感ぜずにはいられない。