授業支援システムは子どもの文具になれるか

松田孝校長とのやりとりを通じて、このたび小金井市立前原小の授業研究に関わることになった。1回目の授業は10/12、小5算数「体積」の1時間目でiPadを用いたもの。この記事は主にICTの部分のメモに基づいている。

用いたアプリはスクールタクトで、タブレットと電子黒板で情報共有を行う授業支援システムのひとつ。一斉授業でタブレットを用いて児童の解答を集約をする典型パターンによく登場する。そして、僕自身はこの典型授業パターンには多分に批判的だ。

普通の授業研究ならば、もっぱらICTは授業プロセス・理解習得に役立つかが問われるが、僕はむしろ「児童にとってどの程度重要なメディアたりえたか」に注目する。例えば、与えられた指示通りに答えを書き込んで集約するだけなら、一時的なワークシート配布・回収と同じで、児童にとっては受動的な授業上応答行為の1つに過ぎない。

メディアの重要性とは、すなわち「それが自分にとって必要な情報が納めてあって、繰り返し使うモノ」になること。児童側での保存・読込・変換・共有参照などを通じた試行錯誤が比較的継続的に生じることで把握出来る。試行錯誤はもっぱら児童側で行われるもので、継続性とはターゲットになる授業の前後を含む。児童が授業の素材を持ち込んだり、授業での検討内容を家に持ち帰ったり(宿題という意味ではない)、といった用途を満足するものでなければならない。

残念ながら、研究授業公開レベルでもICT利活用実践の大半はこの両方の条件(児童による試行錯誤と持続的利用)が満たせないので、メディア的な評価は「落第」。ものの数分しかタブレットを使わせないような授業であれば検討会はパスするし、こうして考察を書く事もない。だが、先日の前原小ではちょっと違うところに気がついた。いずれも萌芽的なものだが興味深い。写真を加えて説明しよう。

スクールタクトの画面に手書きノートの解を取り込んでいる。

スクールタクトの画面に手書きノートの解を取り込んでいる。

展開図をスクールタクトに取り込んで、さらに説明書きを加えようとしている。

展開図をスクールタクトに取り込んで、さらに説明書きを加えようとしている。

ひとつは児童が手書きノートや実物写真をアプリへ取り込む行為「変換」が自発的に見られたこと。ノートに解を書いても良いし、写真に説明を加えても良い。メディアの使い方や応用は児童に任されている。

説明に文字入力機能を使っている

説明に文字入力機能を使っている

こちらのケースは画面に直接字を書いている

こちらのケースは画面に直接字を書いている

タブレットに手書きにするか、文字入力を使うか、という点でもバリエーションがある(普通はどちらかを指定されていることが多い)。これも児童が自分で決めれば良いことだ。

他の児童が提出した画面のサマリを見ながら、自分の意見を入力する。

他の児童が提出した画面のサマリを見ながら、自分の意見を入力する。

他の児童の解答を手元で確認出来れば、教員が電子黒板でまとめる前に自然にこうした比較が始まる。解き方がひとつでない時は、互いに答えは気になるものだ。

驚いたことに、この学級ではスクールタクトを使い出して、まだ数回だという。授業中は児童側に任せて解かせる時間を比較的たっぷり取っている点が特徴的だった(これがとても重要)。この様子を見る限り、児童はアプリ機能を文具として活かし始めており、少なくとも、手書きノートを使うか、アプリでやるか、選択肢を悩むような隙間が設けられているということだ。

授業後検討会では「アプリのデータを印刷して手書きノートに貼り付けられたら良かった」という指摘が出たので、これはシメシメと思った。それはアプリからノートへの「変換」を意識したものだろう。でも、あえて反対の事を言ってみた。どっちが子どもにとって重要なメディアたるのか、手書きノートが基本で、アプリは一時的なモノと教員側が決めてしまっていいのか?

手書きノートをメインにしつつアプリデータを活かすなら、指摘の通り自分で印刷出来るようにする必要がある。アプリをメインにするなら、児童が欲しいと思った時にいつでもどこでも引き出せないといけない。どっちをとるべきか。

幸いな事に、1人1台環境を実現した前原小はどちらも選択出来るし、出来れば、自分の学びの軌跡を残す手段は児童に選ばせたい。選択はTPOで変わるし、そのたび悩んで良いことだ。貼り込んだノートがパンパンになってもいいし、アプリデータを家のPCで参照して続きをやってもいい。

前原小の実践はまだ入口だが、子どもの手元にあるタブレットが文具になったら、どう化けるのか、その可能性を十分感じるものだった(もちろん授業構造上の課題は別にあるけれど)。授業支援システムが授業の外側を意識し始めると、次に何が要求されるのか、という点では実に示唆的な授業であったと思う。

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