デジタルシフトとSAMRモデル
(前記事からのつづき)「デジタルシフト」は、筆者が智場#120から使い出した用語なのだが、最近「それデジタルトランスフォーメーション(DX)とどう違うの?」とツッコミをいただいたので、何がどう違うのか解説する。
まずデジタルトランスフォーメーション(DX)はWikipediaによれば、
デジタルトランスフォーメーション(Digital transformation)とは、「ITの浸透が、人々の生活をあらゆる面でより良い方向に変化させる」という概念である。2004年にスウェーデンのウメオ大学のエリック・ストルターマン教授が提唱したとされる[1]。デジタル化の第1フェーズはIT利用による業務プロセスの強化、第2フェーズはITによる業務の置き換え、そして第3フェーズは業務がITへ、ITが業務へとシームレスに変換される状態である。
とある。IT業界での引用が多いのだが、位置付けとしては情報社会論のひとつと言ってよいだろうか。この説明から考えると、「デジタルシフト」はトランスフォーメーションの前段階(説明のなかの第1フェーズ)にあるのは間違いない。だからといって、「デジタルシフト」が教育情報化の目標として不適切かというと、まったくそのようには考えない。
SAMRの【A増強】が重要
後段の段階説明から想起されるのは、Ruben R. Puentedura(2010)によるSAMRモデルだ。SAMRモデルは国内文献でもいくつか触れられているのだが、どれを読んでもモデル意図がよく理解出来なかったというのが正直なところだ(2014年にも煮え切らない文章を書いているんだけど)。このモデルとデジタルシフトとを比較したら、どうなるだろうか。
例えば、三井(2014)は作文授業の例で説明している(用語は上図の筆者のものをあてている)。
- S代替:原稿用紙に書いていたものをワープロソフトで書く。
- A増強:ワープロソフトで自動的に文章校正(スペルチェック)を行う。
- M変容:書いた作文を相互に発表し、感想を述べ合う従来授業にタブレットPCを取り入れ、発表場面を撮影し、その動画を基に感想を述べ合う。
- R再定義:テレビ電話システムを活用して他校との作文の交流授業を実施したり、作文発表の様子を動画配信で同期的に家庭に配信したりする。
同様に、向田ら(2016)には次のような記述がある。
- S代替:デジタル教科書, 書籍や教科書等の写真,図,表などを実物投影機で拡大提示する。
- A増強:電子黒板やタブレット端末を用いて説明する。アニメーション,動画を提示する。
- M変容:電子黒板を利用し,授業者が画面上に説明を書き足す。電子黒板やタブレット端末を用いてグループで意見を書かせる。
- R再定義:学習者が書いたワークシートや制作したデジタル作品を他の学習者やグループが閲覧し,意見をさらによい意見や作品を考えさせ,加筆,修正する。
著者には申し訳ないのだが、両方ともさっぱり違いが分からない。各段階が機能の発展的活用として記述されているのだが、特に、SAとMRとの段階差が理解できない。【M変容】ではタスクの大幅な再設計が起こるのに、授業の基本的ゴール(作文を完成させる、提示内容を理解習得する)はそれほど変わっていないのではないか。SやAの段階を経なくても、いきなりMやRは実現可能なのか?等々。
埒が明かないので、原典のPuentedulaの2006年の資料にも例示があるので参照してみよう。ひとつはTechnological Level of Use(利用の技術的水準)
- S代替:ワープロをタイプライタのように使う
- A増強:ワープロの基本機能(カットペースト・スペルチェック)を使う
- M変容:メール・表計算・グラフ化パッケージで統合する
- R再定義:ワークグループ・コンテントマネジメントソフトウェア(CMS)と統合する
もうひとつはLevel of Use: A Classroom Example(教室利用例のレベル)
- S代替:オンライン版シェークスピア作品の読書
- A増強:オンライン書籍にリンクした辞書・学習ガイド・歴史サイト
- M変容:共有知識構築のための言語・視覚・聴覚ツール
- R再定義:作品のナラティブで構造的な側面を視覚化するツール
ここまで読んでやっと腹落ちする。【A増強】レベルの段差(飛躍)とは、上図にある解説の機能改善だけでなく、情報量や頻度の圧倒的な増加を次段階の前提におかなければならない、ということだ。教員も学習者もある程度経験値を積んで、能力や見通しがつかめないと、次に到達すべき目標(つまり【M変容】)は見えてこない。
たとえば、ワープロの基本機能をある程度使い込んで子どもの文書量が増えないと、付加的にメールや表計算・グラフ化パッケージを使う意義は得られないし、統合された文書がそれなりのまとまりにならないと、共同作業やCMSへの登録を使うような話にならない。シェークスピア作品の読書の例でも、オンライン書籍にリンクした辞書や学習ガイドを縦横無尽に利用して得た結果を時間をかけてまとめるような活動を経ないと、共有知識構築のレベルには到達できない。上位レベルに至るには、相応の時間も経験蓄積も必要だ。
残念ながら、国内文献で提示された事例では「その活動がどの程度の頻度で行われ、中長期取り組んだ結果、学習者の能力がどの程度向上するか」という視点も見通しもない。従来の教科・単元で与えられた(比較的短期間の)学習目標達成を暗黙の前提としているうちは、Puentedulaのいう【M変容】タスクの大幅な再設計=カリキュラムの再編にはフォーカスできない。
デジタルシフトしないと次は見えない
つまり、SAMRモデルの【A増強】段階では
- ICTを用いて機能を改善する、だけでなく
- 学習者としての圧倒的情報量の扱いと豊富な経験蓄積
が揃わないと、次の【M変容】に到達できない。日本の教育情報化では利用頻度が低すぎるので、まだデジタルシフトが起こっていない。デジタル・トランスフォーメーションを展望するには、まずデジタルシフトの実現が必要だ。たとえば、
- 子どもの作文量が10倍になったら、どんなアウトプットが期待出来るか
- 資料収集・分析処理力が今の10倍になったら、課題設定はどう変わるか
- 手書きで数十字のふりかえりシートがオンライン数百字になったら、学期末のフィードバックはどう変わるか
- 宿題の回収から返却までのスピードが10倍になったら、生徒にどのようなメリットがあるのか
これまでの常識や授業前提への囚われから自由になれば、新たに見えてくるものがあるはずだ。
(つぎへつづく)