11 マスメディアと学校広報との違い
マスメディアの影響力には絶大なものがあります。手作りの学校広報では、どう考えたところで太刀打ちできそうにもありません。しかし、マスメディアと学校広報とでは、対象も違えば、モデルも全く違います。学校広報には、独自の「らしさ」があるのであって、ことさらにマスメディアの真似をしたり、背伸びをしても、まったく意味はありません。
マスメディアは、広告産業と一体となることで、巨額の収益を上げる構造を持っています。例えば、民放テレビ局の場合、時間によって値段の異なる番組枠を、広告主が買って、CMを放映する事で経営が成り立つ訳ですが、メディアリテラシーの教科書では、この関係を「多くの番組視聴者に値段を付けて広告主に売ること」と捉えます。テレビ局にとっての商品とは、番組そのものというより、むしろ番組という餌に群がる我々なのです。
しかしながら、マスメディアは基本的に一方向で垂れ流しなうえに、視聴者の側だって、いつでも画面に注目している訳ではありません。
制作側として、広告主の期待に応え、より多くの収益を得るためには、不特定多数の大衆(マス)の注意を惹きつけ、かつ、理屈抜きのインパクト(刺激)を与えて、満足させる必要があります。言い換えれば、マスメディアのコンテンツには、モノ珍しさ(非日常性)や、うっぷん晴らし(カタルシス)、誰にでも分かりやすい単純明快さ、といったものが、演出として求められるわけです。こういった局面がより強くなると、マスメディアの報道姿勢は事実報道よりも、むしろ扇情的であることが売り物になり、俗にイエロー・ジャーナリズムと呼ばれるようになってしまいます。
これに対して、学校広報は、マスメディアのような強力な伝達手段を持っていませんが、広報対象(ステークホルダ)の大半は、最初から学校の情報を得るために、能動的にアクセスしてきた人々です。
彼らが求める情報とは、マスメディアとは質的に全く異なるものです。
彼らは、学校での子ども達の様子が知りたい、安心したいと思っているのであって、けっして、モノ珍しさやうっぷん晴らしが目的ではありません。したがって、学校広報が扱う内容は、平凡な日常の繰り返しであっても一向に構わないし、あえて、見てくれの良い情報に飾り立てる必要もないのです。ただ、情報それ自体は具体的かつ詳細でなければなりません。筆者は、この日常の情報を「地味でベタな情報」と言っています。
また、彼らの求める「地味でベタな情報」とは、いわゆるニッチであって、ステークホルダにとっては不可欠かつ重要なものであっても、それ以外の人には、ほとんどまったく価値がない、というのも特徴的です。
つまり、学校広報とは、1)保護者や地域といったステークホルダを対象とし、2)信頼と評判を形成するために、3)学校の当事者が 4)持続的に行うべき活動 であると位置づけることができます。
マスメディア | 学校広報 | |
---|---|---|
供給 | 対象は受動的 強い刺激で惹きつける必要 |
対象は能動的 知りたい情報を揃える必要 |
対象 | 大衆(マス) | ステークホルダ(ニッチ) |
情報 | 非日常性(飾られた情報) ゴシップ・事件・問題提起 批判・暴露・偶像化 |
日常性(地味でベタな情報) ステークホルダ以外には 価値のない詳細情報 |
効果 | インパクト・ラベリング 戯画化・世論形成 |
共感・安心・問題解決 信頼や評判の形成 |