水の出ない蛇口
自治体や学校に大規模な最新情報端末の導入が決まればたびたびニュースになる。でも、それで子どもたちの学びが豊かになるかといえば、そんなに世の中甘くない。真新しいタブレットや電子黒板は、実は「水の出ない蛇口」かもしれない。今回は情報環境に着目して少し述べてみたい。
タイトルのような経験は、ちょっと不便な土地に行けば普通に経験することだ。世界中で水道水をそのまま飲める国はごくわずかに過ぎない*1。水が涸れることはなくても、汚染されていて飲用には向かないからミネラル・ウォーターを買わねばならないなんて事はザラにある。
こうした不便に出会えば「蛇口の水栓をひねれば飲み水がふんだんに出る」「電気は24時間停電しないのが当たり前」という我々の感覚が、いかに高度かつ緻密に構築されたインフラの安定性に依存しているか、ということを強く思い知らされるのである。
タブレットは蛇口程度の意味しかない
教育情報化のハイライトが目立つ情報端末であることは昔から変わらない。昨今は1人1台の学習情報環境整備と称してタブレット端末の導入が各地で進められている。PC室から動かせないデスクトップ機より、持ち運び可能で写真ビデオ撮影も自在にできるタブレット機の方が使い勝手が良さそうだ。新聞や専門紙の記事で繰り返し報じれば、たいがいの人は新しい機器配備に予算が付いたことを素直に喜ぶだろう。
だが、目新しいタブレットだけに注目していると大事な事を見落としてしまう。昨今の情報端末は機器単体ではほとんど意味をなさない。言い換えるなら、端末は水道の蛇口のようなものだ。25年前のデスクトップ・パソコンとは違い、最近のパソコン・スマホ・タブレットなどに搭載されるOSやアプリの大半はネットワークへの接続を前提とする。ネットワーク上のシステムに多くを依存し、相互に連携することではじめて期待されるようなクオリティが提供される。
たとえば、OSのアップデートが自動的に施されるのも、パソコンでもスマホでもタブレットでも同じように文章を開き、メールやメッセージがチェック出来るようになったのも、ネットワークインフラとサービスがその利便性を支えているからだ。
デジタル教科書の仕様議論や自治体でのタブレット導入仕様を端から見ていると、タブレット端末の導入を前提としているのに、ネットワークの要素が真っ当に検討されていないような驚くべき事例が散見される。いくつか具体的な例を提示しよう。
例1:一般に学校のネットワークインフラは一般家庭と比較すれば設計が古くて劣悪だ。セキュリティ重視で全学校分のトラフィックを教育センターで束ねた後でインターネットへと繋ぐようなタイプだと、ボトルネックによる遅延が生じやすい。動画視聴など帯域を大幅に消費する使い方が増えれば、こうしたネットワークはすぐにオーバーフローを起こす。
例2:ネットワークボトルネックどころではない。タブレット端末を運用するのにも関わらず、無線LAN接続やインターネットへの接続が御法度になっているケースがある。データのやりとりは全てUSBメモリを用いて行うのだそうだ。これではOSやアプリのアップデートも満足に行えない。
例3:多くの学校ではフィルタリングの過剰適用(オーバーブロッキング)が深刻だ。検索しても大半のページが見られないので調べ学習が成立しない。キーワードによるブロック以外にも、ブログもダメ、動画サイトもダメ、GoogleやDropboxといったクラウド系サービス、LINE等のメッセージ・SNSなどもってのほかということになる。
これはほんの一例に過ぎないが、少なくとも現状の学校の環境では、家庭で一般的に利用されているスマホやタブレットの機能の10分の1も発揮出来ない。仮に、需要用途でごく限定された運用にとどめるとしても(筆者自身はそれをまったく支持しないが)、現代の機器をネットワーク接続せず25年前のPC室のような運用をすれば、大幅な価値喪失を招くうえに脆弱性や危険性を放置することで新たなリスクを抱え込むことになる。つまり、期待して蛇口の水栓をひねっても、満足に飲める水は出てこない。
残念なことに機器導入に関わる議論では抜け落ちやすいから(教育領域以外の人にとっては、逆にそれが驚きだと思うけれど)今一度述べておきたいのだが、タブレットの導入を検討するなら、少なくとも過去の学校PC室の設計や発想は一度忘れなくてはいけない。一方で、ネットワーク・インフラとそれに付随するサービスの要素は絶対に捨象してはいけない。われわれは目先の真新しい蛇口に惑わされてはいけないのである。
*1 国土交通省,平成16年度版「日本の水資源」(概要版)http://www.mlit.go.jp/tochimizushigen/mizsei/hakusyo/h16/gaiyou.pdf