傾いた家の間借人と壁紙の話

デンマーク・コペンハーゲン郊外の学校にて

巷の授業研究では、扱う単元や内容は先に決まっていて、そこにICT活用をどう当てはめるか、という前提になっているケースが多い。しかし、ICT活用の側から授業を俯瞰している者としては、授業のやり方やカリキュラムを大きくいじらないと、ICTは活きてこないと感じることがままある。ただし、これを助言者としてストレートに授業者に伝えるのは勇気の要る話だ。授業者として工夫出来る範疇を超えてしまうので、授業研究としての前提を簡単に崩してしまう。

これは傾いた家の間借人が壁紙の貼り替えを頼んだら「土台直さないと倒壊するよ」と施工業者から指摘されるようなもの。傾いた家とは学校教育そのもの、傾きは社会と学校とのギャップ、壁紙は授業技法の事を指している。

一般に学校でICT活用は板書や発問の工夫と同じ捉え方をされるのだけれど、実際には、壁紙のように簡単には貼替えられない。目先を誤魔化したような壁紙的実践は余計に家屋の歪みを際立たせてしまう。
ふだん使わせないタブレットをピンポイントで子どもに使わせようとすれば、あちこちでトラブルが起こって授業はストップしてしまう。ICTのポテンシャルを活かすには、むしろ一斉授業&ピンポイント利用の前提を外して、土台から直した方が良いのだが、間借人は傾き(ギャップ)そのものに気付いていないし、家を建て替える権限もないのだから当惑するのは当然だ。

実は、学校教育にはそうしたスケールの違いを無視した問題解決上の矛盾があちこちに存在する。
教育活動に関する基本的決定プロセスは、学習指導要領→……→教育内容→方法・技法の選択になっていて、これは長らく変わらないのだが、どこにICTの要素が入るのかによって設計や構成には大きな影響が及ぶ。つまり、ICTは現代生活の基盤であり、学校教育がICTを通じた知的生産機会の多くを担っている、という認識に立って教科や学習内容の編成を行うのか、それとも、ICTは授業小ネタのひとつで、授業者の適宜工夫に任せるレベルにとどめるのか、という違いだ。

ICTは授業研究の小ネタレベルに収まりきらないし、小ネタとして扱うには重すぎるので敬遠されるという悪循環に陥っている。土台レベルの議論には授業研究の枠組みはそぐわない。このギャップを埋めるのは容易なことではない。

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