日本のICT利活用がしんどい理由
たびたび話題にしますけど、欧州や米国でICTを使ってる授業を視察すると、日本の先生は間違いなくビックリします。いや、拍子抜けすると言った方が正確かもしれない。
日本の先生方の得意な精緻で統制された問答中心の授業は、まずお目にかかることがないからです。淡々とレクチャーするか、あるいは、最初の5分で説明と割当が終わったら、後は子ども達が段取り組んで、黙々と作業している授業の方が多い。
日本の先生方は「ウチらの授業技術の方がスゴい」と、たいがい見るのを止めてしまいます。で、ICTを用いた学びの特性を掴めないまま帰国してしまう。分かります。僕も最初は意外すぎて、自分の頭がバグったのかと思いましたもの。
「いやそんなはずはない」しつこく通って現地の先生方と話しをすると、だんだん分かってくる。ああ、我々が注目していたのは、授業統制技法ばかりだったんだなと。シナリオにきっちり着地させる、惚れ惚れするような日本の達人の授業を期待して、裏切られることで気付く訳です。
じゃあ「授業統制技法でない、目の前で展開されている学びの枠組みって何だ?」これが一斉授業の呪縛を解くカギになります。45分でねじ伏せるような授業シナリオや組立てから一度離れてみないと、学びの形は見えてこない。
はっきり言いますけど、一斉授業・授業統制技法の延長で1人1台をやるのはしんどい。それが出来るのはスーパーな人だけ。でも、一見、指導技術的には劣るように見える海外の先生方が普通に1人1台の運用が出来るという事は、【授業統制技法としてのICTを捨てろ】という示唆に他なりません。
僕が「教育の不易と流行」とか「ICTは手段に過ぎぬ」とかいう手垢にまみれた文句を殊更に嫌うのは、これらがぜんぶ一斉授業・授業統制技法への帰着を促す呪い文句になっているからです。
一斉授業とICTは相性が良くない。それはPISA2018の分析を見ても明らかです。授業統制技法の視点を離れなければ、ICTの効果は得られません。
【一斉授業・授業統制技法としてのICT活用】は日本独特の捉え方です。でも、これを普通の授業で持続的にやるのは困難。さんざん研修を繰り返しても普及せず、現場では厄介モノ扱いされ、環境整備が蔑ろにされてきたのは、結局、この手法が間違っていた事を歴史が証明している訳です。