10 教育荒廃論が生まれるトリック

09の記事では、一般社会人にとっての「学校の現実」が、マスメディア報道によって、なかばねつ造されたものだ、という事を述べました。このことについて、もう少し補足説明しておきたいと思います。

教育批判や学校不信の厄介なところは、「年を追うごとに悪くなっている」という荒廃論が、人々の危機感を余計に煽ることにあります。この問題について興味深い考察しているのが、教育社会学者の広田照幸です。広田は著書「教育不信と教育依存の時代」のなかで、マスメディアによって少数のケースが安易に一般化されていることを指摘しています。下図は、同じく広田の「日本人のしつけは衰退したか」から引用されたものですが、これによって、かつて自らが体験した身近な事例と、現在マスコミが報道する極端な事例が比較されることで、「今は昔に比べてひどい、逆に昔は良かった」と考えがちであるとしています。

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図:身近ないじめとマスコミ報道の事例
広田照幸(1999)「日本人のしつけは衰退したか」講談社現代新書p177より

 

広田の説明には2つポイントがあります。これを筆者の言葉で少し丁寧に解説しましょう。

1つめは、少数のケースが一般化される「非日常の日常化」です。
マスメディアは、大衆が注目するような非日常を好んでニュースとして報じます。一方で、平凡な日常はニュースにならないので、ニュースソースからは脱落してしまいます。この極端な例が地震等の被災地報道です。地震報道では、甚大な被害が生じた場所のみがピックアップして伝えられ、逆に無事な地域の情報が脱落してしまうので、たとえ、実際の被災地が地域のごく一部だけでも、一般の視聴者・読者は、地域全体に被害が及んでいると思いがちです。
また、マスメディアは、一度スクープされた大きな出来事で世間が動揺すると、類似の事例をかき集めて連日報道する傾向があります。全国に複数の類似ケースがあれば、それが単なる偶然や例外ではなく、もっと根が深い(企業体質や社会的)問題であると、視聴者・読者に印象づけることができるからです。これは、学校のいじめ報道や、航空会社の整備不良や操縦ミス報道にその例をみることができます。

2つめは、視聴者・読者の「主観的なギャップによる錯覚」です。
これは学校教育に限った話ですが、学校に関してマスメディアによる「非日常の日常化」が起こると、一般の社会人には、主観的なギャップによる錯覚が生じやすくなります。
社会人は、みな学校時代を経験して大人になった訳ですが、広田の図にもあるように、過去、自分の学校時代に起こった出来事の大半は平凡な日常で、極端な事例に遭遇する機会は滅多にありません。これに対して、マスメディアによって「非日常の日常化」が起こると、現在は、学校で不祥事や事件が日々生じているように印象づけます。この主観のギャップが著しくなるほど、「昔の教育はちゃんとしていたのに、今の教育はどうなってしまったのか」という錯覚を生じます。これこそ、教育荒廃論がもっともらしく聞こえるトリックなのです。

先に紹介した広田の著書では、この事例以外にも、なぜ社会的な教育不信が起こるのか、様々な事象とそのカラクリについて丁寧に論じています。学校広報の知識を深める意味でも非常に参考になるでしょう。

教育不信と教育依存の時代

教育不信と教育依存の時代

  • 作者: 広田 照幸
  • 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
  • 発売日: 2005/03
  • メディア: 単行本

日本人のしつけは衰退したか―「教育する家族」のゆくえ (講談社現代新書 (1448))

日本人のしつけは衰退したか―「教育する家族」のゆくえ (講談社現代新書 (1448))

  • 作者: 広田 照幸
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1999/04
  • メディア: 新書

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