12 学校不信と保護者不信

社会の学校不信と、学校の保護者不信は、立場こそ180度違うとはいえ、最初はささいなボタンの掛け違いが、次第に深刻化したものと言えます。これらのいわば相互不信は、互いに被害者意識と敵意があるので、問題解決は容易でありません。

そもそも、この問題の発端は、「保護者・地域への情報提供について、学校側は十分行っていると考え、保護者・地域はそれでは足りないと考える」ところにすれ違いがあります。
学校広報をあまり意識していない学校側の言い分としては、

  • 月一回学校だよりを出しているから情報としては十分
  • 保護者から不満を表明されたことがないから
  • 保護者や地域はいつでも協力的だから

というものが多いのですが、保護者や地域の側が本当にそう思っているとは限りません(実際は、保護者向けの外部アンケート結果が散々で、びっくりする学校も多いわけです)。

特に、保護者は、広範な学校ステークホルダのなかでも、特異な位置付けにあります。
子どもを学校に託すという意味では、保護者は公共の教育サービスの受益者(消費者)ですが、同時に、子どもの学習や成長を評価される被評価者でもあります。つまり、両者の関係は対等でなく、保護者側の方が立場的に不利であるということです。

このような状況で保護者は

  • 学校側に対して小さな不満や疑問があっても、直接意見表明しにくい状況に置かれ、
  • ストレスの蓄積が弱者意識や被害者意識へとつながり、
  • 学校はより高圧的・独善的あるいは閉鎖的・保守的であると思いやすくなります。

これが学校不信の根本的原因です。
実は、マスメディアが学校批判を先導する役割になりやすいのは、このような、学校側の「驕った態度」のステレオタイプに対して、義憤や社会的制裁に対する支持を集めやすいからです。学校側は、このような保護者の立場的不利を理解しつつ、思慮深い、先回りの対応が求められていると言えます。

では、もう一方の保護者不信は、どのように考えたら良いでしょうか?

学校側の保護者不信とは、たとえば

  • クレーム、理不尽要求、非難追及への怖れ
     →モンスター・ペアレント
  • 消費者的態度や家庭で対処すべき課題の学校への押しつけへの反発
     →バカ親

といったものがあります。いずれも、一部の保護者の特異な振る舞いに対して、ラベリングされているのが特徴と言えます。

特に、モンスター・ペアレントについては、教育委員会や学校側に直接危害が及ぶ事から、弁護士を含めた特別の対応チームが教育委員会内に組まれたりなど、たびたび世間の注目を浴びました。もちろん、酷い事例への行政的対応としては適切ですが、一方で、このような対応がおおっぴらに公表・報道された事によって、その他大勢の人々に与えた影響については、大いに憂慮すべき点があるでしょう。

1点目は、モンスター・ペアレントに対する行政の強硬姿勢表明が、保護者や地域からの意見表明を抑圧するからです。
特別対応チームの編成は、本来モンスター・ペアレント事例にのみ効力を持つものですが、広く報道された背景には、一般の保護者や地域の人々に対する脅しの意図があると解釈されます。正当な意見表明に対しても、「モンスター・ペアレント」とラベリングすれば、排除可能になるような仕掛けをちらつかせることが、双方の対話や協働を促進させるとは、とても考えられません。

2点目は、モンスター・ペアレント事例への対応を、教育委員会側の特別チームが担う姿勢を明確にしたことで、本来の保護者や地域への学校側対応の当事者意識を低める結果になったことです。
(酷い事例への対応に効力があることは十分承知したうえでも、なお)、学校側が保護者や地域に対して説明し、説得する役割を依然担っている事には、変わりはありません。しかしながら、教育委員会側がいわば逃げ道を作ったことで、はなからやる気のない学校が、これらの役割を積極的に果たさぬまま、手に負えない事例を丸投げするようなスタイルを導くことになったとは言えないでしょうか。

3点目は、もっと決定的なことですが、モンスター・ペアレントに該当する当事者は、もはや、行政の強硬対応姿勢を事前に知って行為を踏みとどまるような常識人ではないということです。つまり、このことを報道したところで、予防的な意味はほとんどありません。

このように、学校側の保護者不信は、特徴的にラベリングされ、しばしば行政的に過大解釈されたり、消極的な対応に利用されたりすることがあります。こういった対応は、学校広報が目標とする良好な関係構築をかえって妨げることになりかねません。

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