教育制度から独立した第三者が行うこと
触媒的学校評価のポイント2
「触媒として、公教育の制度体系とは独立した第三者が行うこと」の解説
Wikipediaによれば、触媒(catalyst)とは、特定の化学反応の反応速度を速める物質で、自身は反応の前後で変化しないものをいう。
学校評価における触媒とは、教育制度からの独立性を示すためにあてた言葉である。つまり、評価の前提となる価値観や観点は、原則として制度側からの干渉を受けないかわりに、制度における評価・被評価の関係には立ち入らないので、そもそも強制力や権限を行使することもできない。制度から独立した第三者が半ば「勝手に行うこと」なので、その直接的な影響力はほとんどないに等しい。
ちなみに「第三者」の語があるので、文部科学省が検討している「学校の第三者評価」を思い浮かべる方も多いと思うが、本稿の意図から言えば、評価者の資格認定や契約関係が介在する限り、第三者としての独立性は低い。
さて、日本の学校評価制度は、学校関係者評価など、学校組織外からフィードバックを得る仕掛けを持つが、これらは、あくまで学校側が主導する枠組みの中で進められるものだ。つまり、(自由記述を除けば)枠組みとして想定外の意見は集められないし、学校間の相互比較は最初から配慮されていないので、学校側が極端に慎重になって、形だけのアンケートが横行すれば、学校組織外からのフィードバックは意義を失い、制度は急速に形骸化する危険がある。
組織改善のための穏当な学校評価制度を積極的に維持するには、学校関係者自身が意識を高め、意欲的に組織外部や新しい観点を取り込み続ける必要があるが、これを促すのは容易なことではない。
触媒としての学校評価は、制度としての学校評価が取りこぼした要素を、一部補完するような働きをする。しかも、直接的に権限を行使するのではなく、きわめて限定された間接的な影響力をもって。
具体的に述べれば、取りこぼされた要素とは、学校組織外部の(主に保護者や地域の)視点であったり、学校間・自治体間・都道府県間の相互比較や、格差の可視化であったりする。また、学校広報のように、将来的に重要性が高まることが予想されるのに、十分普及していないコンセプトに対する認識を高め、普及を図る上でも、有効な手立てであると考えられる。
ここまで読んで、「赤の他人が勝手に評価してるだけじゃ、影響力なんかあるわけないじゃないか」と考える方も当然おられるだろう。あえて触媒という言葉を使ったのは、実は触媒の持つ、もうひとつの意味が重要なのだ。これについてはまた次回。